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IT業界の黎明期を語る! ユニリタの歴史 Part2 〜A-AUTO編〜

皆さん、こんにちは。

ユニリタ 辻です。

この記事では、IT業界やユニリタの歴史を振り返り、ユニリタがどのようにして成長してきたか、どのような活動をしてきたかを紹介し、ユニリタがどんな会社なのかお伝えしたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

前回は、

ユニリタの歴史 Part1 〜黎明期編〜

というお話をさせて頂きました。

こちらの記事で、私がどんな人間なのか、自己紹介などもお伝えしていますので、まだお読みでないという方は、ぜひご覧ください。

今回は、「ユニリタの歴史 Part2 〜A-AUTO編〜」と題しまして、ユニリタがソフトウェアメーカーとして出発点になった運用管理業務の自動化を実現するジョブ管理ツール「A-AUTO」を中心にお話しをしていきます。


マルチベンダーで稼働するジョブ管理ツール
「A-AUTO」

1970年代後半は、コンピューターシステムはユーザーが独自で開発するものであるという考えが一般的で、各社がそれぞれ独自のシステムを開発していました。

当時のパッケージソフトウェアのほとんどは、メインフレームメーカー製品か海外製品でした。

しかし、富士写真フイルム様は、先進的な企業として、「ADABAS」などを導入し、当時アメリカにもなかったジョブスケジューリングの概念を持つコンピューター自動オペレーションシステム「AUTO」を開発しました。

ユニリタは、1977年に富士写真フイルム様とライセンス契約を結び、「A-AUTO」として販売を開始しました。

最初のユーザーは平和生命様(現在はニッセイ・ウェルス生命保険)の子会社で、富士通メインフレームではなかなか稼働せず、多くの困難を乗り越えて導入されました。

その後、二番目のユーザーであるカシオ計算機様を通じて、日立のメインフレーム版「A-AUTO」が開発されました。

三番目のユーザーである三菱信託銀行様ではIBMメインフレームのOSであるMVS版の「A-AUTO」が開発されました。

出展: IBM「IBM Archives:Mainframes photo album」

MVSへの移植には困難が予想され、案の定、徹夜での悪戦苦闘の日々が続きましたが、こうして大きな投資と困難を乗り越えて富士通、日立、IBMメインフレームのマルチプラットフォームで稼働する国産のジョブ管理ツールが完成しました。

三菱信託銀行様で稼働が始まると「A-AUTO」の認知度が一気に高まり、生損保を始めとした多くの金融系企業に導入いただき、人気製品に成長していきました。


ユーザーの要望を取り入れた製品開発!

1990年代に入ると、「A-AUTO」のファミリー製品が次々に登場していきました。「A-AUTO」でジョブのスケジュールが自動実行されると、アウトプットは電算センターで印刷されます。

当時のスプール機能はOSの一部機能であり、紙は連続用紙でした。印刷中に印刷用紙が詰まってしまうと、OSスプールのデータは消えるため、JOBの再実行ができず、最初からやり直しになってしまいます。

そこで、ユーザーからの要望に応えて、詰まった箇所から印刷できるスプール機能が「A-AUTO」に追加され、その後、「A-SPOOL」として製品化されました。

当時の製品ラインアップ

ジョブの一連の流れの中で、アウトプットのソリューションができると、次はインプットデータを収集する機能が求められます。

そのための製品として「A-GATHER」が開発されました。この製品は、「A-AUTO」ユーザーから開発費用を頂き、ユーザーの要望を仕様に取り込んでできた製品です。

「A-AUTO」をより使いやすく進化させたのは、当時のユーザー企業の貢献が大きかったと言えます。ユーザー企業からの要望を製品に反映することで、機能の拡充や改善が行われ、効率的な運用管理が可能になりました。


ユーザー企業を巻き込むことが重要!

ユーザー企業同士が交流を行うユーザー会も、「A-AUTO」の普及や機能向上に大きく貢献しています。

1980年、運用部門に注目を集め地位の向上を図ることと、各社の持っている運用管理の知恵・知識を交流させ「A-AUTO」のバージョンアップに反映させて、魅力ある製品に育て上げることを目的に「A-AUTO分科会」が発足しました。

「A-AUTO分科会」メンバーは、実務レベルの人を中心に情報交換の場を提供していましたが、問題意識を持ったメンバーが外部からの刺激を求め、議論が繰り広げられました。

製品愛の強いメンバーが他のユーザーを巻き込み、ユーザーを増やしていき、1991年には「A-AUTO」ユーザーが500社に達しました。

「A-AUTO」の成功は、単にソフトウェアを開発し販売するだけでなく、ユーザー企業との緊密な協力やユーザー会の存在、そして時代や技術の変化に素早く適応する柔軟性が不可欠であることを示しています。

そして、ユニリタは今後も、ユーザー企業のニーズに的確に応えるため、積極的に協働を進め、常にお客様の成功を第一に考え進化し続けます。


今回は、ユニリタの黎明期である1970年代後半から1990年代の歴史を振り返りました。

次回は、1980年代から始まるパソコンの台頭とデータウェアハウスへの取り組みについてご紹介します。

ぜひご期待ください。

こちらの記事の全文はユニリタマガジン vol.60に掲載されています。
興味のある方はこちらをご覧ください


続きの記事はこちらです。


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